フットボールとポップミュージック

アジアカップは残念な結果に終わり、アギーレさんが解任されるなど日本代表は大きな岐路に立っています。おとえんな皆さんは日本代表の試合くらいは見るけど…といった方がほとんどではないでしょうか?? 実はフットボールと音楽は切っても切れない関係にあります。

 

スタジアムに響き渡るチャントと呼ばれるサポーターの応援歌もフットボール観戦の醍醐味であり、その元ネタを探ると音楽を通してフットボールの魅力を探って行く事ができます。 今回は「フットボールとポップミュージック」と題してイングランドのフットボールと音楽の繋がりをご紹介していきたいと思います。 (あえてサッカーではなくフットボールと表記いたします!)

 

「Liquidator」 Harry J Allstars

まずはロンドンに本拠を置くチェルシーのチャントといったらこの曲。1969年に発表されたスキンヘッドレゲエの名曲です。当時のスキンズといえば頭を短く刈り上げた労働者階級の若者がドクターマーチンのブーツにリーバイスを履き、週末はフットボール観戦。あまりに激しい応援やスタジアム外での危険な行為はフーリガンそのもの。今この曲を聞くと選手入場にはユル過ぎない?と思ってしまいますが、ヒットしていた当時から荒くれ男達が野太い声で叫んでいたと想像すると胸熱じゃないですか?


「Tom Hark」The Piranhas

1980年リリースのスカの隠れた名曲です。この曲もイングランドの様々なスタジアムでよく歌われていますが、特にマンUのウエイン・ルーニーのチャントが有名です。


「Hurry Up Hurry」 Sham 69

Sham 69はチャントを模倣したシンガロングスタイルをパンクに浸透させた先駆者なんて言われていますが、この曲は「Hurry Up England」というタイトルで2006年ドイツワールドカップのイングランド代表公式ソングとなりました。老若男女が踊るほのぼのPV、ボーカルもすっかりいいおじさんですね。 パンクの流行とフーリガンの問題はほぼ同時期に起こりました。音楽とフットボールは不況と失業にあえぐ労働者階級の若者の不満の捌け口となっていました。しかし、死亡事故も起きたスタジアムは安全になり、反体制の象徴といわれたパンクも明るいロックとして受け入れられ、時代は移り変わりました。

 

「Love Will Tear Us Apart」 Joy Division

マンチェスター出身のバンド、ジョイ・ディヴィジョンの名曲はマンUのレジェンド、ライアン・ギグスのチャントです。ジョイ・ディヴィジョンはイアン・カーティスの死後バンド名をニュー・オーダーと変更し、90年イタリアワールドカップのイングランド代表公式ソングを歌っています。

 

「This Is The One」 The Stone Roses

最後にご紹介するのはマンUのホームスタジアム、オールド・トラッフォードで選手入場の時に使われたローゼズの名曲です。さらに、マンUで20年以上活躍した名SBギャリー・ネヴィルの引退試合でボーカルのイアン・ブラウンがアカペラで独唱しました。ギャリー自身もツイッターで「大ニュース!あの伝説のイアン・ブラウンがぼくの引退試合で両チーム登場の前に歌ってくれることになった! すげーっ! ディス・イズ・ザ・ワンだよ!」 と大興奮。

でも、長年ローゼズを追いかけてる身としてはイアンが音程外さずにアカペラで歌えている事にビックリ…。


いかがでしたでしょうか? このようにフットボールの母国イングランドは音楽とフットボールが密接な関わりを持つ国です。よく音楽雑誌のインタビューにもフットボールの話題が出てきますし、オアシスのギャラガー兄弟はマンチェスターシティの熱狂的サポーターで知られ、過去には資金援助も行っていました。


同じマンチェスターでもストーン・ローゼズのメンバーはユナイテッドのサポーターです。 また、ビートルズの赤盤・青盤はリバプールを本拠とする2クラブ、リバプールとエバートンのチームカラーから取られたものなのです。 スティングはニューカッスルユナイテッド、エルビス・コステロはリバプール、デーモン・アルバーンやポール・ウェラーはチェルシー、そしてジョニー・ロットンはアーセナルのサポーターとして有名です。(ちなみに女王陛下のお気に入りもアーセナル…。) 自分が好きなミュージシャンの応援しているチームに注目してみるのもアリですよね。

 

まだまだあの曲やこの曲について語り足りないので、この続きはまた次回。

(大型連載の予感…?)

 

                              (記 R.I初投稿)